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2007年5月 1日 (火)

「東京タワー・ボクとオカンと時々オトン」

二十五年位前だったと思います。横浜のとある映画館に当時の彼女と「インディジョーンズ」かなんかを観に行った時の事、少し離れた席に内田裕也氏と島田陽子さんが並んで座ってました。”やっぱり付き合ってるんだ”と納得したのを憶えています。そのせいかこの作品のオトンがどうしても内田裕也氏にオーバーラップしてしまうのです。彼の娘である内田也哉子さん、そして妻である樹木希林さんはどうだったのでしょうか?そんな事を思いながら映画を観ました。母と子を描いた描いた作品は昭和の中頃まで映画業界のドル箱で”チャンバラモノ”と並んで”母子モノ”というジャンルが確立されていた時代がありました。”母子モノ”のストーリーは悲運により離れ離れになった母と子が貧しさを乗り越え、苦難を経て、再会するも、その時母親は病に冒されていて余命幾ばくもない、というもので、それを観客は涙しながら観ていたわけです。その後、経済発展が進み、古い家族制度が崩壊すると共にその種の”母子モノ”はスクリーンから姿を消しましたが、平成の現代に形を変えて蘇って参りました。私もオダジョー演じる主人公に世代が近いので共感する部分もありました。が、心情的には泣くまでの思い入れは出来ませんでした。隣に座っていたオバサンがオカンが上京してくるあたりからずっとハンカチで鼻をかみ始めていたのが気になったからでしょうか?否、その理由はドラマツルギーが従来の”母子モノ”に比べて薄かったのです。かつての”母子モノ”には母と子に抗い難い状況設定がありました。それは自分が如何に努力しようともいかんともし難い大きな壁だったのですが、この作品にはそれがないのです。確かに手塩にかけて育てた一人息子がヤクザになって、母親を苦しめた挙句、改心するも時すでに遅く・・・、というパターンも有りには有りですが、そこまでこの作品の主人公はやくざでもないし、母親も報われずに逝ったという印象がない。しかし、その強烈なドラマツルギーが無い分、リアリティーが損なわれずに観客の涙を誘った、ということも出来るのです。これが現代の”母子モノ”なのだと思いました。樹木希林さんはいつも通りの名演でした。

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