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2006年10月29日 (日)

「父親たちの星条旗」

クリント・イーストウッドが監督と製作、ポール・ハギスが脚本でスピルバーグが共同製作という事で渋い戦争映画になってました。日米両国から見た硫黄島の戦闘がテーマになっていて今回はアメリカ側から見た硫黄島戦です。硫黄島攻略はアメリカ人にとって対日本戦のノルマンディ上陸作戦みたいな意味があったのでしょうか?あの「プライベートライアン」を彷彿とさせる戦闘シーンが強烈でした。実際の戦闘ではかなり生臭い行為があったと聞きます。死んだ日本兵の口から金歯を抜いて戦利品にした兵が多くいたとか、その為に半死半生の者はその場で射殺されたとか、「人命の尊重」という平時の建前がぶっ壊れて、人間が「異なる種や思想の殲滅」という本能のみで行う戦争は正に「狂気」です。その「狂気」を正当化する為に使われるのが「家族を守る為」というキーワード。しかし、このキーワードさえも「自らのDNAを拡大再生産する」という本能に根ざしたもので、人類が生存し続ける限りどこまでいっても戦争はなくなりません。その戦争につき物なのが英雄です。この映画では硫黄島のすり鉢山に星条旗を立てたことで英雄に祭り上げられた三人の男の生き方が描かれています。三人を英雄に仕立て上げたのは財務官僚で、戦争を継続させる為、戦費を調達するすべとして、国債を買うよう三人の英雄に勧誘をさせたわけです。それを出世の糸口にしようとした者、適応できずつぶれていく者、ただ成り行きに身を任せた者、それぞれが硫黄島でのフラッシュバックを交え、よく書き分けられています。さすがはポール・ハギスと言ったところでしょうか。ことさら戦争を非難するでもなく、賛美するでもない微妙な色合いの作品になってました。何が人間に戦争を起こさせ、人間はその事にどう向き合えばいいのか?そんな問いをこの映画は投げかけているような気がしました。次回作日本側から見た硫黄島「硫黄島からの手紙」が楽しみです。

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2006年10月23日 (月)

「スネーク・フライト」

三十数年前のある真夏の晩の事、遊びから帰ってきた私が「おかあさーん、お風呂沸いてる?」「まだよ、今日は水を取り替える日だから」「じゃあ水風呂でいいや」と私が服を脱ぎ、風呂に入ろうと風呂桶のふたを開けたところ、巨大なあおだいしょうが浴槽の中でとぐろを巻いていました。それ以来、蛇は苦手です。「ジョーズ」に代表される動物系パニック映画と「大空港」「エアポート~」等の航空パニック映画のおいしいところを摘んで作られた映画です。こりゃ企画ドン詰まり状態のハリウッドがたどり着いた、パニック映画の異種格闘技戦やぁ(俺は彦麻呂か?)ちゅう事でまあまあでした。CGなんでしょうけど蛇のヌメヌメ感が気味悪くて食欲が失せましたが、過去の名作や外国映画のリメイクに血道をあげるよりもいいかもね。証人を護送するという設定の中にもう一工夫あってもいいかな。ところで外国の映画ではよく深夜便の飛行機のトイレでセックスするシーンがあるけど、結構ポピュラーな行為なんでしょうかね?私の友人がやはり深夜便に乗った時のこと、トイレの中で荒い息遣いが聞こえたので、どんな男女が出てくるのかと胸躍らせてトイレのドアが開くのを待っていたところ、トイレから出てきたのは頭の禿げた中年男とハードゲイ風のマッチョマンだったそうです。アメリカは怖えーや。

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2006年10月22日 (日)

「地下鉄(メトロ)に乗って」

年食ってくんと、こーゆー映画いいんだよね。しょんべんの切れも悪くなってきてさ、アーアなんて思ってる時にこーゆーの観ると思わず泣いちゃうんだよね。グッスン。話は年に必ず何回かはお目にかかるタイムトラベル物で、ちょいと残尿感有りの出来でしたっす。この手のタイムトラベル物につき物の禁じ手があります。それは一つの時空間に一人の人物が二人いる事は有り得ない。つまり過去の自分を現在の自分が見ているという設定は論理的に不可能、出来ない、ということなんですが、この作品同様約九割の作品がこの禁じ手を破ってます。それともう一つこの作品が破っている禁じ手がありますが、この点が泣かせどころになっているので申せません。まあ観てのお楽しみと・・・。ところで銀座線が駅で停車する前に車内の電気が一瞬消え、真っ暗になってたのはいつ頃までだったんでしょうね。つい最近まで消えていたような気がするんですがね。

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2006年10月21日 (土)

「ザ・センチネル陰謀の星条旗」

かつて自らセックス中毒症だと宣言し、入院生活まで送ったマイケル・ダグラスが今度は大統領のカミさんに手ぇ出しちまった。参ったねどうも、って事で、まあそんな話です。シークレットサービスの中に内通者がいて、大統領暗殺の濡れ衣を着せられたマイケルがひょんな誤解から仲違いしていた同僚キーファー・サザーランドに追われ、逃げ、また追われと・・・。内通者はいったい誰なのか、という興味が一本シナリオの柱になっているはずなのに、その内通者が判明するまで、その当人があまりに出番と台詞が少ない為、観客側に推理する余地が与えられてませんでした。その結果ハラハラもドキドキも、怒りも驚きもスカっともしない、つまんない作品に終わってしまいました。シナリオのもう一本の柱となるべき大統領夫人キム・ベイジンガーとマイケルの関係がどういう形で白日の下にさらされるかも、何の葛藤もない陳腐な展開の中でダラダラと終わってしまって、これもがっかり。加えてキム・ベイジンガーが年食ってイーデス・ハンソンみたくなっちゃって、さらにがっかり。暗殺者のグループが元KGBだって設定もどうですかね?てことは現ロシアの大統領プーチンのかつての同僚だってこと?まだまだアメリカにとってロシアは敵国なんですか、どーすかブッシュさん。

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「オトシモノ」

沢尻エリカばんざ~い。沢尻エリカだ~い好き。沢尻エリカこっち向いてぇ、って事で年甲斐もなく胸躍らせて観てしまいました。やっぱ沢尻エリカはいいわ。ウンウン。呪いのオトシモノを拾った妹を助ける為、エリカ様が奮闘するお話です。そこそこ怖かったけど女同士の友情みたいなお話もあって、後味すっきりのジャパンホラーでした。出来ればもっともっとエリカ様を徹底的に追い詰めて(たとえばあのレザーフェイスのチェンソー男みたいに)エリカファンをハラハラドキドキ、もうやめてくれ~、と絶叫させるぐらいのボルテージでつくってくれたらよかったのにと思いました。中途半端な因縁とその謎の解決という余計な筋は必要なかったのではないでしょうか?この映画は沢尻エリカがめったに見せない絶叫顔や、恐怖に怯え、目ん玉ひんむいてブルブル震えている画とか、出来れば入浴シーンなんかをちりばめて、沢尻エリカファンしか楽しめなくていい、というような確たるポリシーを持ってやって欲しかったです。

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2006年10月20日 (金)

「ブラック・ダリア」

「チャイナタウン」と「さらば愛しき女」と「ハメット」を足して三で割ったような映画でした。嫌いじゃありません。というより結構好きです。ブラック・ダリア事件はマンソンファミリーによるシャロン・テート(当時ロマン・ポランスキー婦人)の惨殺事件と並んでハリウッドを代表する猟奇事件で「ハリウッドバビロン」という本に実際の死体写真が出てますので興味の有る方はどうぞ。デ・パルマは処女作「悪魔のシスター」でシャム双生児の姉妹を切断するというテーマでホラー映画を撮ってますが、切断フェチなんですかね?映像がよかったです。セットも最高、金かかってんぞー、って感じで、画面観てるだけでも飽きません。それとヒラリー・スワンクがまさに毒婦といえる令嬢役で登場、ぶったまげました。「ミリオンダラーベイビー」のあのごつい女ボクサーを演じてた人とは思えぬ変身振りで、さすがです。ハリウッドという色と金と背徳にまみれた感じを彼女一人が背負って演じてるような印象を受けました。筆舌に尽くしがたい(負けた)、映像の世界、観なきゃ分からん、これだけは。ごめんなさい。ところでトム・ディックのいい訳は何でしょうか?エテ吉ですかね?

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2006年10月10日 (火)

「ワールド・トレード・センター」

911のテロの後結婚する人が激増したというニュースを耳にした事がありますが、なるほどね、って感じがしました。話は被災した人々を救助に行った警官がビルの崩壊に巻き込まれ、瓦礫の中から奇跡的に生還するというものです。考えさせられました。この映画がワールドトレードセンターが舞台でなかったらどうか、例えばトルコの大地震だったらアメリカ人はこの映画をどう見たでしょうか?911というテーマはアメリカ人に大きなトラウマを残し、この事を思い出すと自然と心のスイッチが入ってしまうのでしょう。前にも書きましたが日本人にとっても同国民が犠牲になっているということに関しては次元は一致しているのですが、どうもここまで切実な感情が沸かないというのが自分でも不思議なところです。共感する部分ももちろんありました。英雄的な行為を行った人々が皆平凡な人間で只同胞の命を助ける為、自らの職務に忠実であろうとしたが為に結果、英雄として賞賛を受けたということ。皆、家庭を愛する優しき家庭人だったということ。それらのことには共感します。救助された時には拍手を送りたくなりました。しかし、観る人間のその拍手の温度差がこの映画の全てであることも又事実です。

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2006年10月 9日 (月)

「レディ・イン・ザ・ウォーター」

世界一高額の脚本家M・ナイト・シャマラン製作、脚本、監督作品ですが、いまいちでした。今までは金のために書いてきたけど、これからは書きたいこと書かしてもらうよ、って感じで仕上げた作品で、一番受けたのはシナリオのセオリーを破ってまで映画評論家役の俳優さんを化け物の餌食にしたシーンでした。よっぽど映画評論家が嫌いなのね。話の筋は”水の精”を”青い世界”に送り届ける為に種種雑多な人種が集まるアパートの住人が謎解きと困難に立ち向かうという、ETの大人版のようなものでヒューマンドラマ、っちゅーのこーゆーの?シャマランが遊びながらシナリオを楽しんで書いてる、ってーのか、うまく書けないんで投げ出した、ってーのか。どっちにしろ完全な失敗作です。シャマランの過去の作品から引っ張ってきたような楽屋落ちめいたものがあったりして、シャマラン好きな人は観ていて面白いのかも知れませんがね。どうも登場人物が多すぎて個々のキャラクターが充分に個性を主張出来ていない散漫な印象を受けました。そのせいか人物の動きが場当たり的、御都合主義的に見えてしまって、その上説教臭いと、まあこれ以上は申しません。こっからは蛇足です。昔、丹下左膳を書いた林不忘という人がいて、この人は他に谷譲ニ、牧逸馬というペンネームでも小説をかきまくった大流行作家でしたが、本当は純文学志向の強い人で「さあ、そろそろ金も貯まったから純文学を・・」という矢先に無理が祟って早死にしてしまいました。結局、彼の代表作は心ならずも彼が生きる糧として書いた膨大な作品群という事になったわけです。表現者にこの手の苦悩はつき物でしょうが、シャマランもそれを百も承知の上で今まで脚本を書き続けていた事でしょう。自分で製作し、自分で脚本を書き、自分で監督する。失敗したら全部自分のせいでいいから自分の作りたい作品を作る。「これでいいのだ」(バカボンの親父か?)と開き直っているシャマランの顔が頭に浮かびます。

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