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2006年8月 4日 (金)

「ラブ☆コン」二回目

私の拙いコメントにより”水曜日のシネマ日記”管理人様に誤解を与えたようなので「ラブ☆コン」についてもう一度書き込みます。かつて新古典主義を代表する画家アングルが裸婦を描き、発表した時、批評の焦点となったのは、描かれた裸婦の胴の長さ、でした。つまり写実を最も重要視した当時の画壇では美的な観点ではなく、写実的な観点から作品の良し悪しが判断されていたのです。時は下って二十世紀、スペイン内戦をテーマに一人の画家が大作を描き上げました。ピカソの「ゲルニカ」です。又、一人の写真家も戦火をくぐりながらスペインを巡り、頭部を狙撃された瞬間の兵士の様子を写真におさめました。ロバート.キャパです。絵画史と写真史に残るこの二人の仕事に優劣をつけるつもりはありません。「ラブ☆コン」について語る上で良い対比となるので引用します。テーマは誇張と写実です。「ラブ☆コン」の筋立ては背の低い男と高い女がお互いのコンプレックスを克服して恋愛を成就させる、というものです。この話の中に私が引き込まれたのは、このコンプレックスが例えば頭脳、容姿、経済格差、国籍、等々全ての物に置き換える事が出来ると感じたからです。これは作品全体に散りばめられた誇張の効果によるものだと私は思います。もし「ラブ☆コン」が写実的に描かれた作品であったら、これほどの効果を生む事が出来たか疑問です。登場人物、状況設定全てにおいて誇張に溢れた作品だからこそ、私は自由に発想を広げ、感情移入することが出来たのです。アングルの描いた裸婦もピカソの描いたスペイン内戦も誇張の産物です。しかしその誇張の効果により私は的確に作者の訴えようとしているメッセージをとらえる事が出来ました。「ゲルニカ」にはその画を観た瞬間、戦禍の恐怖、阿鼻叫喚、絶望、悲しみそれらを一瞬に訴えかける力がありました。写実の中にも別な意味における力があります。それは現実を直視するしか術がないという強烈な説得力です。どちらに心を動かされるかは様々でしょう。しかし映像がイメージをいかに喚起させ、その広がりをもたせているかを、映画の成否としてとらえている私にとって「ラブ☆コン」という作品は誇張の効果を最大限駆使したなかなかの出来ではなかったか、と思うのです。

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