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2006年8月30日 (水)

「花田少年史」

「花田少年史」見て参りました。主演は若花田、貴花田、仲の良かった少年時代の花田兄弟です。勿論冗談です。どっかの漁村の家族愛をテーマにした話で、印象に残ったのは(黒澤明の「夢」に出てきたトンネルと同じ?)トンネルから出てきたオネーチャンの幽霊が妙に色っぽくてよかったって事と「オールウエイズ三丁目の夕日」に出ていた元気のない少年が別人のように元気だった事です。そこそこ笑わすし面白かったとは思いますが、家族愛を描いた映画はカレーライスのようなもので大体どこで食っても大ハズレの方が少ない、といいましょうか、そんなジャンルの映画なので、もっと凄い裏技を使って見せてほしかった。例えばうんこ味のカレーが御飯味の蛆虫にかかっているみたいな無茶苦茶なテイストと驚きがこの手の映画には必要なのではないでしょうか。アホ親父からの提言でした。

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2006年8月23日 (水)

「スーパーマンリターンズ」

「スーパーマンリターンズ」観て参りました。ヒーローでも生きるって大変だ。先代のスーパーマン、クリストファー.リーブが乗馬中の事故で半身不随となり、亡くなってからどの位時間が経ったのか私の記憶は曖昧ですが、先日何気なくつけたテレビの画面で元気そうな彼の活躍に無常観を感じながらも思わず見入ってしまいました。ジーン.ハックマン演じる悪役レックス.ルーサーと相方の掛け合いはわらかすわ。絶妙でしたね。さて今回のスーパーマンは色々と複雑で、かつての想い人ロイスは同棲状態で子供有り、「スーパーマンは必要ない」という記事でピューリッツァー賞を受賞ということで、リストラ中高年男性のような苦悩の中での活躍でした。これも世相を反映しているといって言いのでしょうか?「英雄のいない社会は不幸だが、英雄を待望している社会はより不幸である」誰の言葉かは忘れましたが、もう我々はピッカピカの非の打ち所の無いようなヒーローを必要としていないのかもしれません。それが幸せなことか不幸な事かはわかりませんが、そんな事を思いました。映像は楽しめます。それと旧作を観てからの方が色々と楽しめるかも。

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2006年8月20日 (日)

「ユナイテッド93」

「ユナイテッド93」観て参りました。ある一つの事象を見る場合、近づきすぎると全体像が見えなくなり、又離れすぎると核心的な問題点が見えなくなる、という事があります。反イスラム社会の国家アメリカに対して行われた911という同時多発テロが未だにその全体像を明らかにしていない現状でこの手の映画を作るのは様々な問題を孕んでいます。昔スタローンが作っていた反共映画等とは一線を画している冷静なドキュメンタリータッチにはなっています。しかし、それがかえって不気味で、つまり語るべくも無い当然の事として悪はイスラム教徒なのです。このあたりが日本人にとって感覚的にわからない部分なのですが、本当はこれもおかしな話で、ワールドトレードセンターでは日本人も数十人犠牲になっているのです。本当は今もこの事を脇に置いて911を語っている日本人の方がもっと不気味なのかもしれません。

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2006年8月14日 (月)

「東京フレンズ」

「東京フレンズ」観て参りました。”埼玉県人からみた東京”かつて、わたせせいぞうのマンガをそう評した人物がいました。この映画も東京に何かを求め、夢を目指して頑張る地方出身者、玲ちゃんから見た東京のイメージなのでしょうか?高知の干物屋に夢を抱けないのは別に悪い事じゃありませんが、東京という街に漠然とした夢を抱くと言うのは如何なものでしょう?又、玲ちゃんのお相手の男が同じように何かを求めてニューヨークへ行った、ってのも何だか出来の悪い”出世双六”みたいで、こいつらホンマのバカップルや、そのように思いました。こっからは雑談。私の学生時代の友人Y君と初めて渋谷のハチ公前で待ち合わせをした時の事です。隣の家まで一キロ近くあるという過疎地から出て来た彼はハチ公前のあまりの人の多さに圧倒され、「こんなに人が多くては絶対に自分の姿がわからない」と思ったらしく、ハチ公の像にまたがって私を待っていました。そんな彼に私が声をかけなかったのは言うまでもありません。

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2006年8月 4日 (金)

「ラブ☆コン」二回目

私の拙いコメントにより”水曜日のシネマ日記”管理人様に誤解を与えたようなので「ラブ☆コン」についてもう一度書き込みます。かつて新古典主義を代表する画家アングルが裸婦を描き、発表した時、批評の焦点となったのは、描かれた裸婦の胴の長さ、でした。つまり写実を最も重要視した当時の画壇では美的な観点ではなく、写実的な観点から作品の良し悪しが判断されていたのです。時は下って二十世紀、スペイン内戦をテーマに一人の画家が大作を描き上げました。ピカソの「ゲルニカ」です。又、一人の写真家も戦火をくぐりながらスペインを巡り、頭部を狙撃された瞬間の兵士の様子を写真におさめました。ロバート.キャパです。絵画史と写真史に残るこの二人の仕事に優劣をつけるつもりはありません。「ラブ☆コン」について語る上で良い対比となるので引用します。テーマは誇張と写実です。「ラブ☆コン」の筋立ては背の低い男と高い女がお互いのコンプレックスを克服して恋愛を成就させる、というものです。この話の中に私が引き込まれたのは、このコンプレックスが例えば頭脳、容姿、経済格差、国籍、等々全ての物に置き換える事が出来ると感じたからです。これは作品全体に散りばめられた誇張の効果によるものだと私は思います。もし「ラブ☆コン」が写実的に描かれた作品であったら、これほどの効果を生む事が出来たか疑問です。登場人物、状況設定全てにおいて誇張に溢れた作品だからこそ、私は自由に発想を広げ、感情移入することが出来たのです。アングルの描いた裸婦もピカソの描いたスペイン内戦も誇張の産物です。しかしその誇張の効果により私は的確に作者の訴えようとしているメッセージをとらえる事が出来ました。「ゲルニカ」にはその画を観た瞬間、戦禍の恐怖、阿鼻叫喚、絶望、悲しみそれらを一瞬に訴えかける力がありました。写実の中にも別な意味における力があります。それは現実を直視するしか術がないという強烈な説得力です。どちらに心を動かされるかは様々でしょう。しかし映像がイメージをいかに喚起させ、その広がりをもたせているかを、映画の成否としてとらえている私にとって「ラブ☆コン」という作品は誇張の効果を最大限駆使したなかなかの出来ではなかったか、と思うのです。

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