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2006年6月21日 (水)

「花よりもなほ」

「花よりもなほ」観て参りました。先ず衰退の一途を辿る時代物にあえて挑戦した是枝監督に敬意を表します。残念ながら出来は良くありませんでした。江戸の下層民の生活風景はよく描写されていました。しかし、仇討ちの話をテーマにする時は仇討ちの私的な面と公的な面を描かなければいけません。仇討ちは一家の家長又は其の嫡男が殺され、犯人が逃走した場合にその子や弟が仇をうち(親が子の又夫が妻の、兄が弟の仇をうつことは認められていない)、家名を再興する、という私的な面と、喧嘩両成敗を逃れて国外に逃亡した犯人を他国に警察権の及ばぬ藩に代わって断罪する処刑人、という公的な面があります。つまりこの作品の主人公(岡田准一)のように仇うちを個人的感情で果たさないでも良いと言う事はないのです。仇討ちとは公と私言い換えれば組織と個人の在り方の根源を揺るがす問題で、そこに相克がありドラマが成立するのです。それを意図的に除外してしまっては私の描写も浮き上がって見えず、背骨の無いふにゃふにゃの時代劇になってしまいます。せっかく赤穂浪士も登場させたのですからそこらも絡めてね。加えて長屋の人たちの性格描写、皆屈託が無くてよいのですが、いずれも只日々食うことだけにしか興味の無い人々のように描かれていて、必要以上にこの時代の庶民像を矮小化してしまっています。もし是枝監督がこれからも時代物を手がけるつもりなら、山本周五郎の「よじょう」以前の作品と以降の作品をよく読み比べられる事をお薦めいたします。それと池上英子著「名誉と順応サムライ精神の歴史的社会学」をどうぞ、名著です。

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