« 「初恋」二回目 | トップページ | 「デスノート前編」 »

2006年6月18日 (日)

「初恋」三回目

「初恋」三回目観て参りました。この映画は革命の挫折録みたいなもんだと思うんですよね(俺は斎藤龍峰か)。あの頃ほど日本の歴史上で革命という言葉が若者一般に浸透してた時期は無かったんじゃないかと。しかしその時代はやがて終わっていくわけです。その革命の熱に浮かされていた時代を初恋という形で主人公みすずが表現している。そして三億円事件を発端に現政権の転覆を謀った初恋の男キシとの別離、喪失感、脱力感みたいなものがあって、そのあとの世代の若者は「シラケ世代」とか「新人類」みたいな呼ばれ方をするようになる。それがちょうど私の世代です。では、何故革命は成し遂げられなかったのか、それについてこの「初恋」という映画は観客に問うている。このことは古典的名作「戦艦ポチョムキン」との比較で論じるとわかりやすいので引用します。監督がこの作品を意識していたふしもあるのでね。映画の中では「戦艦バウンティ」の映画看板がかかってましたがこれも船員の反乱をテーマにした映画です。さて、まず革命を起こすに至った動機は何か?「戦艦ポチョムキン」では上官が船員に腐った肉を食べさせようとしたことから起こる反乱です。これに対して「初恋」では主人公みすずが孤独からの逃避をこころみ、恋をした結果が主たる動機になっています。これは生理的欲求からでた行動の方が個人的な感情から出た行動より強固である、ということを暗示しているように思います。又、キシの置かれている立場(現政権閣僚の子弟)も象徴的で、これは、権力が決して内部から崩壊しない、ことを意味してると読み取れます。そして決定的なのはこの男女の孤独と孤立です。家族からも同じグループの仲間達とも深く理解し合うことを拒絶しているかのような態度、それらの事がいわば独善的という印象を大衆に与え、実生活から乖離した。結果、革命は起きなかったのです。みすずとキシが街頭の階段に腰をおろし言葉を交わすシーンがあります。しかし腰をおろした二人の間にはコンクリートの壁があって、二人は身を寄せ合う事はない。恋に対する不器用さ稚拙さからか二人の間には厚い壁があるのです。この壁が象徴するものが彼らの、又革命と大衆との距離であり、壁であったと思わせる印象的なシーンでした。「戦艦ポチョムキン」では階段のシーンから一気に大衆と反乱兵との距離が狭まるんですね。あの映画史不朽の名シーンといわれる、オデッサの階段、あれが革命の起爆剤となり、大衆蜂起につながる。「初恋」の階段のシーンには大衆と革命を結びつけるものが一切無い。たった二人の思い込みで革命なんて起こせるわけがないのです。しかし巨大な敵、権力に一泡吹かせる寸前まで行く事は出来た。稚気愛すべし、私がこの映画を好む理由です。

|

« 「初恋」二回目 | トップページ | 「デスノート前編」 »