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2006年1月31日 (火)

ちょっと長めに『博士の愛した数式』について

映画は「ルート」というあだ名の数学教師の自己紹介から始まる。自分の母親が「未婚の母」であった事、家政婦をして生計を立てていた事が語られ、その母が働きに出た先の博士の事に話が及ぶ。博士は十数年前、義姉と同乗していた車で交通事故を起こした。其の時の後遺症の為、事故以前に体験した事の記憶はあるものの、事故後については八十分間で全ての記憶が消失してしまうという状態だ。ここで観客は「もし八十分間しか記憶が保てないとしたらあなたはどうしますか」という問いを投げかけられる。この問いに対する現実的な答えは先ず「食えない=生活できない」であるが、映画の中で博士は富裕な義姉の援助によって生活を保証されているのでこの点に関しては考えなくても良い。形而上の世界でこの問いに答えれば良い。前述の問いはこうも言い換えられる「人生とは時間の連鎖とそれに付随する記憶によって成立しているのですか」と。物語は博士と家政婦、そして家政婦の息子「ルート」の三人を中心に展開する。博士は好人物として描かれている。学者特有の気難しさと偏屈なところはあるが思いやりがあり、子供好きで、阪神タイガースのファンである。寺尾は博士を好演している。一方深津絵里演ずる家政婦も好人物である。自分の仕事に誇りを持ち、周囲の力を借りる事無くけなげに明るく一人息子を育てている。これも深津の好演である。家政婦は博士に次第に好意を持つようになる。それは師を慕う感情に似ている。「ルート」も又博士を慕っている。ある日、博士と野球の練習中に怪我をした「ルート」はそのまま病院に運ばれる。病院に駆けつけた深津の気持ちをなだめようと博士は深津に直線を書かせる。ここが冒頭の問いに関するヒントになっている。深津の書いた線を見、博士は言う。直線とは本来無限であり、君の書いたのは線分である、しかしこの線分は君にとっての直線=無限=永遠であると。深津と博士と「ルート」の関係は親密さを増し、擬似家族の様相を帯びてくる。この状態に義姉は心穏やかではない。義姉と博士の間には過去に肉体関係があり、堕胎までした事が明らかになる。義姉はこの過去をずっと引きずっており、博士との関係はこの事により必要以上に疎遠になっている。義姉は一旦家政婦を解雇するが結局「ルート」の行動により再び呼び戻される。冒頭の問いに対する答はこうである。「人生において記憶の永続性は必ずしも重要ではない。真理を得た一瞬こそが永遠であり、その真理=永遠は胸の中にあるのだ」と。作品全体に哲学的な硬質な印象があるが、寺尾、深津二人の好演により、その印象は和らげられている。しかし、本来は脚本のレベルで解消されるべき問題だと思う。博士の特異なキャラクタを存分に活かすことが出来れば、更に感情移入出来る作品に仕上がっただろう、そう思うと残念である。佳作であることには間違いない。

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